おやこ音楽会のテニスコーツとお母ちゃんたち


この数日、ずっと考え続けてることがある。

一昨日の午前中から、ウチの子供の幼稚園にて、『おやこ音楽会』と題して、テニスコーツの演奏会を行なったのです。 いやぁ、それはもうとてもとても面白い体験で、今まで何度も見てるテニスコーツだけれど、いつもと違う、でもある種いつも以上にいつもどおりの「意外な」テニスコーツを楽しませてもらいました。

子供って、やっぱり面白いんですよ。東京の、それも都会のど真ん中で育った子たちですら、みんな自由、勝手気まま。ま、幼稚園の先生に「ちゃんと聞きましょう!」って言われてたからってのもあってか、ウギャーとか騒ぎ続ける子はいないものの、聞きたい子は聞いてるし、あくびしてる子もいる。ただ、音楽の得体の知れぬものに、ビビッドに反応するのが見ててたまらなく面白い。

特に反応が良かったのが、テニスコーツ&ジャド・フェアのアルバムに収録されている「すぐおばけ」。この曲、ただたんに「す、ぐ、おば〜け〜、す、ぐ、おばぁけー」って歌ってるだけなんだけれど、もう最初の一節を歌っただけで子供たちの顔は「え、今の何?」と。ザワザワざわざわ……「おばけって言った?」……「すぐ、何って?」……。で、「一緒に歌って!」とも言ってないのに、静かに「すぐおばけすぐおばけ…」という声がどんどん大きくなる。こういうの大好き。短いその曲が終わった後も、どうやらお気に入りの「すぐおばけ」、もっと歌ってくれないかと期待に目をキラキラ輝かせてる。かわいい(笑)。

あと、驚いたのは、幼稚園の園歌をテニスが歌ったんだけれど、メロディも何もなく、ただ植野くんのコードアルペジオ4小節だけで、何も言ってないのにすぐに園歌だってことを認識、もうツッコミ気味に歌い始めちゃったこと。あれで分かるんだ、すごいね。なんだ、あの力は?

なにより子供たちに「いい音楽」を聴かせるんじゃなくって、「面白いいろんな音楽がある」ってことを少しでも思って欲しいってことで始めたこの音楽会だけに、もうそれだけで十分。で、その他、見所聞き所は山ほどあったし、いろいろと書き連ねたいんだけれど、実は、それよりももっと気になる、ちゅうか考えることがあったのです。

今回のこの「おやこ音楽会」は、俺が幼稚園のお母さん方と一緒に企画したもの。幼稚園側には「そんな名前も知らない人たちに任せて大丈夫?」的に若干渋りがちな感じもあったんですが、お母さん方が本当に一所懸命やってくれて、こんな素晴らしい音楽会を催してくれたんです。で、その企画の話し合いの中で、ひとつお願いされていたことがあった。「子供たちのための時間が終わった後に、少しでいいから“お母さんたちのため”に演奏してくれないか」、と。で、テニスっさんたちは、子供たちの第一部の後一休みして、その後子供のいないところで(まぁ、幼稚園以下のちびっ子たちはいたけれど)演奏をしてくれた。で、もちろん聞き手は今まで一度もテニスコーツなんて聞いたことがないお母さん方ばかり。でも、皆さんじっと聞き入ってくれて、中には涙を流してる人もいたりした。終演後も「すごくよかったです!」と嬉しそうにテニスっさんに声をかけてくれたり、素敵な空気が流れてた。で、そんな会話の中でポツリとあるお母さんが言った。

「今、普段音楽なんてまったく楽しむことができなくて、だからこそ10分でも15分でもいいから、ゆっくりと音楽を聴きたかったんです」と。「音楽とか聞きたくて、もう子供無視して、ヘッドフォンして聞いたりもするんだけど、耳元で“お・か・あ・さ・ん!”って叫ばれて、もういいやってなるのよ!」と。

このサイトを見ていただいている方は、たぶん音楽を浴びるように聞いていたり、かなりマニアックに楽しんでおられる方が多いと思います。もちろん、そんなことを書いている自分もわりとそういうタイプの人間だと思う。 でも、ですね、意外に思われるかもしれませんが、この自分でさえも子供が生まれて以降、「音楽を家でゆっくりと楽しむ」なんてことは、子供も家族も寝静まったほんと深夜の一瞬くらいのもの、それも皆が起きてこないように小さな音で。で、「こんな思いで聞くんだったら、明日店でゆっくり聞こう」になっちゃう。で、自分ですらそんな状態だったりすることを考えたら、24時間子供と向き合ってるお母ちゃんたちは、本当に音楽を「楽しむ」なんてことができないのも当たり前の話だと思うんです。「子供がいても、好きな音楽かけたらいいやん!」って思う人もいるかもしれないけれど、ホントーーーーにそれは難しいことなんですよ。いや、どうなのかなぁ。もっと多くの人に聞いた方がいいのかもしれないけれど、それを仕事にしていない限り、なかなかに難しい。

でもね、そういう生活をしているからって、音楽なんて必要ない、っていうわけじゃない。逆に、子供に日々向き合ってるような生活だからこそ、音楽を聴いたり映画を観たり、ゆっくり本を読んだり、少しだけでも外でコーヒーを飲んだり、そんな「子供がいない生活」の中では当たり前にできちゃうことで、特に「文化」の匂いがすることにとても憧れたりするんです。だから、「ライヴを見に行く」なんてぇことは、もう夢また夢の出来事。だから、今回、「15分でもいいから楽しませてください!」って言ってくれたんだと思うんです。

また、文化って不必要なものに思われるかもしれないけれど、「音楽とか本とかを楽しめなくなったら鬱になりやすくなる」って言葉を聞いたことがある。ほとんどのお母ちゃん方が、規模こそ違え、ちょっとした「育児ノイローゼ」になってる現状(これは本当にそうだと思うよ!)で、もしかして音楽とか書籍とか、そういう「文化的なシロモノ」っていうのは、そんなお母ちゃんたちにこそ必要なんじゃないかなぁって思ったりもした。

でも、「文化の匂い」がするからなんでもいいってわけじゃない。一時期爆発的に流行った「リラグゼーション」とか「癒し」を看板に掲げてるコンピみたいな、あんなクソのようなシロモノがなんで巷に蔓延ったのかって言えば、そんな心がキューってなってる人を相手に商売になるって思った輩がいたから、だと思う。でも世の中に山ほどある「バッタもん」の文化では、そんな心の襞みたいなものを本気で震わせることなんてできゃしないとも思う。でもねぇ、やっぱり本当に面白いものとか、本当に素敵なものっていうのは、ちゃんと向き合って、探し続けて、でもそれでもなかなか手に入らないものだったりするんだよなぁ。それもわかってる。

ま、そんなことを言いつつ、どうもねぇ。自分は今レーベルをやっていたり、出版をやってたり、ある種「文化」的な匂いがする(あえて文化って書かないのは、どうも“文化”とか“芸術”って言葉を根本的に好きじゃないからです)ことをやってきたんですが、ずっとそんな「素敵なもの、面白いものを探し続けてくれる人たち」のために作ってきたような気がしてるんですよ。「わかってくれる人、わかろうとしてくれる人」に対して。もちろん、そういう人たちのおかげでいろんなモノを作ってこれたり、誇りに思えたり、嬉しかったりしてるんですが、これって「選民的」な考えかもしれないなぁ、とか思ったり。

で、ですね。一昨日のお母ちゃんたちみたいな人に、少なくとも自分は「ホンモノ」だと思ってるそんな音楽を伝えていくことはできないのかなぁ、とぼんやり思ったりもしたんです。いや、「すべての人にわかってもらえる、楽しんでもらえる」なんてことを思うのは傲慢だと思ってるし、別にお母ちゃん方すべてが求めてるわけでもない。でも、自分たちの立ち位置として、そんな「マニアックに音を楽しんでる人」以外の方に伝える方法を少し模索してもいいんじゃないかなぁって思ったんですよね。それをどうすればいいのかっていうことはもう皆目見当がつかないんだけれど、例えば自分が今やってる「なぎ食堂」のような「マニアックな音楽」とは全く違う場所を入り口にしたりして、何かできないかなぁとかぼんやり思ったりもしているのです。もちろん、ここで言ってる「お母ちゃん」ってのは、具体的なお母ちゃんだけでなく、そういう風に「本当は音楽を必要としてるけれど、聴くという時間を持ちづらくなってる」人も含めて、の話。

音楽は、きっとどんな場所でも鳴ることができる。だからこそ、そういう場所をひとつでも多く作っていくことが自分の仕事なんじゃないかなぁって。ま、まだ全然考えがまとまってないんですけれど、備忘録がわりにちょいと書き連ねてみました。