Hara Kazutoshi『楽しい暮らし』

テクノ系のアーティストでもないのに、名前を英字で記すシンガーソングライターがいる。近いところで言えば、Oono Yuuki君とかRyo Hamamoto君とかanna yamadaさんとか(あ、今度本名の山田杏奈名義でアルバム出すんですな)、それはたぶん、「海外で活動したいから」とか「匿名性が欲しい」とかってことじゃなくって、ちょっと本名で名前をバーンって出すのは恥ずいなぁ程度の奥ゆかしさとかから来るんだろうけれど、時折フライヤーやジャケットをデザインしたりする身になってみれば……和文フォントと欧文フォントが混在するのでレイアウトしにくい(笑)。縦組みできないからバランスが悪くなる。正直、困る。まぁ、逆にTシャツとか作る際にはかえって作りやすいだろうから、それはどっちでもいいか。ただ、苗字と名前、それをどっちを前にするかくらいは統一されてたらちょいと嬉しい。まぁ、「嬉しい」と書いたところで誰も変えやしないだろうが。

んでもって、Hara Kazutoshi(本名:原和稔)くんもそんな「英字名義のアーティスト」のひとり(Haraくんと書くのは面倒なので、以下は原くんで)。ただ実際に会うとその普通……いや普段着感……カジュアルって言えばいいのかな……まぁ、英字のアーティスト感はまったくない、近所に住む大学生のあんちゃんみたいな人柄と見た目。「アーティスト」にありがちな自己顕示欲の欠片も見えない、本当に「いい人」なわけです。実際、原君とはミュージシャンとしてではなく、「ライヴハウスで、ほとんどのお客さんに無視されてた当時のゲラーズに対して、たったひとりフロアのど真ん中で熱い視線を浴びせかけてる熱い男」として知り合ったのです。だから、逆に彼が「一人で歌ってる」と聞いたとき、ちょっと意外な感じもしたんですよね。音楽に対して「純粋なファン」として向き合ってる人だと勝手に思い込んでいたから。

そんな原くんが、満を持してアルバムをリリースしたのが今年の春。いろんな人から「ちゃんとした作品作ったら?」と押されて、渋々作ったっていうのが原くんらしい話。まぁ、昨年くらいから王舟から製作中って話は聞いてた。ただ、「今ですね、原さんのアルバムを作ってるんですよ。すごくいいんすよ、ほんとにいいんすよ。ミックスは俺が手伝ってるんですけれどね、ほんとにものスゲェよくって、これ、たまらないんです(延々続く)」……というような具体的な説明がまったくされなかったので興味は半分。どうやら録音はできたけれど、ミックスに少し手間取って、王舟にちょっと手伝ってもらったということらしい。んでもってようやく届けられたのがこの『楽しい暮らし』。とにかく、本当に彼は音楽が好きで好きでたまらなかったんだろうなぁってのがよく分かる作品だなぁっていうのが第一印象だった。

ゲラーズの最新ep「Guatemala」収録の「今日のできごと」(この曲は、原くんが作詞作曲、そして歌まで歌ってます……ってそれゲラーズなのか・笑)を聴いた時も思ったんだけれど、鈴木茂とハックルバックのイカした部分っていうか、南佳孝のいい部分と悪い部分の両方とか、いわゆるシンガーソングライター的な発想ではない曲作り、そしてポップ感が瑞々しく、そしてちょっと甘酸っぱいのがなんとも心地よくって、リリース前からなぎ食堂でずっとヘビーローテーションされていたのです。ただ、そうして何度も何度も意識せずに聴いているうちに、いろんなものが顕になってきた感じがします。

まず、楽曲としての作りの巧さ、メロディの美しさに対して、ヴォーカリストとしての原君がついていけていないことが、本当に素敵だったり。実際、メロディとして作ってしまったものの、自分の声域として歌いこなせていない部分もあるんですが、それが、なんともグッとくるのです。例えばM1の「朝」のラスサビ「私が水を飲んで眠りにつくころに」の中間部分の「のん〜で」の声が出切らない弱々な感じが、彼の個性とぴったりはまって別の魅力を導きだしています。これは録音でかなり小さな声で録音しているから渋みが出てる感じもするんだけれど、こうして録音、アルバムを発表することでようやく「自分の声」と歌い方を手に入れた感じもします。

kaze no mashita(2003) by Hara Kazutoshi

この「kaze no mashita」は、原くんの2003年の曲らしいんですが、これを聴けば、この時代の曲は自分の歌い方を模索しているようにも思えます。ただ、ずっと宅録、ライヴでずっと歌っていくことにより、自身の楽曲を歌いこなすに相応しい「発声法」と「曲作り」を手に入れたようにも。かつて細野晴臣さんが「自分の声が嫌いで歌えると思っていなかったけれど、ジェイムス・テイラーを聴いて、これだったらできるかもと思った」的なことを語っておられましたが、持って生まれた「美しい声」や「ロッキンな響き」ではないのは重々承知してるけど歌いたい人間にとって、「自分の声」を見つけるのには、とても時間がかかることなんだろうなぁと。でも、そういう苦心の跡というか、人の気配みたいなのが、やっぱり音楽には浮き上がってくるんだろうなぁとも思えるのです。正直、原くんの名曲「楽しい暮らし」を「天性のいい声」を持った王舟の方が技術的には上手く歌えるのを聴くたびに、ちょっと、いやかなり腹立ちます。

あと、それ以上に興味深いのは、原くんの作詞のセンスの良さ。さらりとした言葉遣い、語彙的にも決して新しくはない。形容的なフレーズはまったく見当たらない。なんだけれど、ちょっとした言葉の響きや使いこなしに「巧いなー」と思わせる部分が多々見られるのです。日本語のヒップホップ好きらしいけれど、そういうライムの巧さともまた違う「響き」の巧さ。これは意図していることかどうか分からないけれど、一番気になったのはM8「行きたい所」の以下の部分。

「あのバスはどこへゆくのだろうか?
あの子はどこへゆくのかな あいつはどこへゆくつもりなの
忘れているなら思い出してよ 皆 行きたいところへゆけること」

この曲、歌詞の意味的にはそんなに特別なものではないかもしれない。ただ、確実に歌う際に「行く」と「ゆく」を使い分けているということ。まぁ、簡単に考えて「行きたい」は「生きたい」のダブルミーニングで、それと進む意味で使う「ゆく」を使い分けてるんだろうけれど、あえて「生きる」って重い言葉を用いないところが、原くんのセンスの良さなのではないかと思いつつ。また「い」と「ゆ」の使い分けに関しては、M7「輪になって」でも見受けられる。

「ときめきの外で 何をゆうのか ゆわないのか あらかじめの言葉で
(中略)
優しさの中で 何を得るのか 言えないのか あらかじめの言葉で」 


とはいえ、決してその効果は「ポップさ」を導き出すためだけではない。逆に、大した意味を持たない軽いものまでが、何かしら意味深に感じさせることもあったりする。M4の「ふてね」に以下のような言葉がある。

「ふてねして 起きて やはり寝転ぶ
(中略)
夜明けにめがさめ カーテンあけて 会えない人にも挨拶できる」 


これを聴くと、最初のワンフレーズでは、朝起きれないダメ男のダメ日常の話かなぁって思わせるわけだが、よくよく聴いてみると、どうやら最近恋人と別れた、という話に繋がっていく。それゆえに、繰り返して聴く際には、この「ふてね」が涙を隠すために突っ伏して寝てるような、そんな弱っちい男の姿に変わってきたりもする。

そして、リフレインの際に語尾を少しいじることで、別の意味性を導き出すこともしばしば行なわれている。M2「楽しい暮らし」には以下のような表現がある。

「暮らしに役立つ便利なアイディア ぬきでは僕らは生きられない
それともご飯を好きなだけ食べて もうどうでもよくたり眠るか
さよならの言葉だけが残る 同じ場面の繰り返し
暮らしに役立つ 便利なアイディア ぬきでは僕らは生きられないのさ
(中略)
僕らの町では優しい挨拶 かわして暮らしを彩らせる
親切の心だけがのこり 他のすべてはどこへやら
僕らの町では優しい挨拶 かわして暮らしを彩らせるのか


もう、自問自答(笑)。 最初に言い切っちゃって、でも、後で「どうだろうねぇ、ちゃうかもしれんねぇ」とツッコミを入れてみる。というか、最初から言い切るつもりはないんだろうなぁ。

全体を通して、ポップな曲調で日常を切り取るみたいな感じに聴こえるけれど、歌詞を読むに結構重い。ズシーンと重い。シニカル程度じゃない冷徹な視点がどこかに存在する歌、それは歌ってる原くんの外にもうひとつ客観性が存在しているような複雑な構造になってるんじゃないか、と。で、それがHara Kazutoshiの歌の魅力なんじゃないかなぁと思ったりしています。

まぁ、そんな面倒くさい部分は抜きにしても、十二分に面白い音楽です。今回は曲調に関してはなんにも触れてないのですが、メロディメイクのセンスはかなりもの。あと、彼の面白さを伝えるには、王舟がインタビューした以下のグダグダインタビューを読めばもっと楽しめるはず。ぜひぜひ!