ただそこに在るうた、について

さっき書きこんだhop kenについて書き忘れたことがひとつ。杉本君の皮膚感覚っていうのは自分ともすごく近い感じがして、やりたいこと好きなことがとても分かる。でも、どうしても分からないことがあって……それは……「hop ken」って名前。なんじゃ、そりゃ(笑)。なんだよ、その名前。野方のラーメン屋かよ。いや、元ネタはそうだとしても、その名称の「意図」が分からん。どこに手をつなげていけばいいか分からん。いや、もうね、若い人の感覚がやっぱおっちゃんは分からないっすよ。バンド名でもね、やっぱ分からないのがたくさんあって。「neco眠る」とかさ(森くんゴメン! もちろん音楽は大好きです!)。そのバンド名はかっこいいのか、と。どうなのか、と。たぶん「かっこいい」とかどうとかで付けてないんだろうなぁ。同世代の子たちに聞けば、「あ、なんかぐっとくるところがありますよ」って言うからさぁ、ある種の言語感覚の違いとかがあるんだろうなぁってのは重々理解しております。そういうもんなんだろうな、と。でも、杉本くんと同世代のzaradaくんがやってる企画「うたをさがして」はよく分かるぞ、うん。じゃぁ、なんだ、その違いは?

で、思い出した。自分が数年前から思い出したようにやってるイベント名で「ただそこに在るうた」っていうのがあるんだけれど、まぁ、それは思いつきで付けた冠なんで特に意味はないんだけれど、同年代である円盤田口君がやってる「日々の音楽」ってのに意味合いも近いなぁって思う。これは偶然だったんだけど、まぁ、俺らの言語感覚・共時性ってそういう感じなのかな、と。そんな言語感覚を別にしても、今、「ただそこに在る」音楽が好きだったりする。いや、どうかな、「今、好き」なわけじゃなくって、ずっと好きだ。大好物だ。好・き・だー!って叫ぶくらい好きだ。イヤダと言っても愛してやるほど好きだ。 もちろん、毒っ気いっぱいのものも好きだ。グッと飲み干したあと毒っ気で吐きそうな、ゲロ酸っぱいものが込み上げてくるのも大好きだが……。なんだよ、なんでも好きなのかよ。ごみんなさい。

「ただそこに在るうた」ってどういうイメージかなぁ。人によってそれぞれ違うと思うんです。それぞれ違うものでいいと思う。ただ、俺の中でのぼんやりとしたイメージとして、アレンジやギミックで聴かせるようなもんではなくって(もちろんそういうものも素敵だ)、歌手の個性とかエンターティメントとしてひっぱるようなものではなくって(もちろんそれも素敵だ2)、歌うということに何かしらの必然性を感じる当たり前に素敵な歌、「素」の音楽。いろんなものをとっぱらっても、ちゃんと自立できるような強度を持った歌、みたいな感じかなぁ。曖昧ですね、すいません。でも、毒とかアクで聴かせるのではないそんな歌の多くの人と共有できる感じは、広い意味での「ポップス」だと俺は認識してます。

でもね、「ポップス」って、ある種「時代的な側面」とか「経済的な側面」とリンクして成立している部分があるから、どうしてもそういう「素の音楽」は地味に聞こえるだろうし、当たり前過ぎてシーンを形成するようなことには成り得ない(例えばジャンル的な同時代性やキャラ的な個性の類似性があればシーンってできやすいじゃないですか)。あと、普通に「当たり前」ってことが「個性がない」みたいに思われちゃったりもしてるのかなぁ。

例えば、ハセケンこと長谷川健一っていうシンガーがいます。ウチのレーベルから『凍る炎』と『星霜』 っていうホントーに素晴らしい2枚のアルバムをリリースしているシンガー、個人的には、今の日本で最も優れた歌うたいの1人だと思ってます。だけど、以前、あるとても信用している音楽家から、このようなことを言われたことがあります。

「ハセケンさんって、思ったより普通なんですね」、と。

その言葉に違和感を感じる人もいると思います。「普通じゃないよ!」と怒っちゃう方もおられると思います。でも、俺は彼のその言葉っていうのは理解できたりするんですよね。その一聴すると「普通」に聴こえてしまうところが、彼のとんでもないところじゃないかと。これに関しては、今、別にハセケンの歌の力について書きかけてる長文があるんでまたそっちで書き連ねたいんだけれど、彼の歌は「体の中に入ってくるまでに、じわじわと時間がかかる」ものじゃないかと思ってるんです。実際、俺もそうだったし。そんな俺に対して、ふちがみとふなとの渕上の純ちゃんから「なんで小田くん、ハセケンに興味持たへんのやろってずっと思ってたんよ!」って言われたこともある(笑)。

ただ、何度も浴びる(優)くらいハセケンの音楽を聴いて自然に体の中に入ったあと、すっごく疲れてて音楽に対して脳で考えるような状況じゃないとき、ハセケンの音楽はホントーーーーーーーーーーーー(長っ!)に染みるんです。気付くと口ずさんでる労働歌のような。感じとしては、オクノ修さんに近いんだなぁ。あ、でも、この話はもっと膨らませたいのでまたいつか!

ハセケンでさえそうなんだから、「普通さ」 で誤解を招いちゃってる人たちってとてもたくさんいる。派手ではない、というか周りに派手な歌い手っていないなぁ。M.A.G.O.のハーさんくらいか(ちなみに彼女は「ハデ」だったので、ハーさんというあだ名になりました)? いないよ、そんなに派手な人(笑)。みんな普通に「当たり前」、でもじっと聴いてると、じわじわっとくる何か……それは人によって違う何かなんだけれど……がある。だからいい。で、そんな当たり前の魅力を持った女性シンガーについて少しだけ書かせてもらいたいなぁ、と。

今回、「うつくしきひかり」を録音することになって、今日と明日、大阪と神戸でライヴをしているんだけれど(この詳細はコチラで!)、うつくしきひかりのナカガワリサさんもまさにそういう感じ。その発声法も含めて「個性の強さ」でガシガシ押すのではなく、もうひとつのバンド「ザ・なつやすみバンド」の方が顕著なんですが、非常にわかりやすいポップスマナーで楽しめる瞬間がある。でも、その奥底からにじみ出てくるような「何か」が一番の力のように感じてます。実はナカガワさんの場合、まだそれが具体的にどのような形をしているのか、どこへ行こうとしているのかが見えてなくって、それが逆に楽しみであったりも。

また、明日11/14にグッゲンハイムで対バンしてくれる「たゆたう」のメイン・ヴォーカリストであるにしもとひろこちゃんもそういうじわじわと染みる歌い手。声質というか倍音が、ヴォイスパフォームをするニカちゃんに似ている部分もあるのですが、この数年で急激に歌い方を自分でコントロールできるようになった感じが特に素晴らしく、大きな抑揚を付けた部分から突如落としこんでくる部分のちょっとした「くすぐり」のような「笑い」のような、なんとも言えぬ歌声にゾクっとさせられます。彼女の場合、「奔放な」とか「天性の」的に語られることもあるんですが、そういう部分以上に地味ぃに歌と向き合い続けた結果が、今、ちゃんとした形で開花している感じもします。特に今回の新譜『糸波』に関しては、レーベルの A&Rとしては(笑)、単に「可愛い、いい歌」みたいな評されるのはなんだか本当に腹立たしくて、そこに至る意味とか、この歌の強度とかになんで気づかないんだろう、と本気で怒ってたりします。誰か! 書いて! 批判的な文章でもいいからさぁ、書いてくださいよー(平身低頭土下座しながら→嘘)。

あと、実は今なぎ食堂でスタッフとしてお手伝いしてくれている「森ゆに」ちゃんもそういう空気感を持ってる一人。時折サポートの弦楽家等を携えることもあるけれど、基本ピアノと歌というシンプルな形態で歌を紡いでる。伸びやかな声と確実なピアノのテクニックは、同世代で群を抜いてるかも。ただ、楽曲も含めて決して奇抜なことをするわけじゃないから、時折、「メジャー系のピアノを弾いて歌う女の子」と対バンで組まされそうになったりもしたらしい。でも、歌を聴けば分かるやん! 音を聴けば見えるやん! そういう「惚れた腫れた」を過去のコピーの旋律で歌うようなメジャーの紛い物じゃなくって、自分が一生かけて歌えるような「身の丈にあった生活のうた」を綴ってるわけじゃないですか。でも、パッと聴きでは、奇抜ではない、という部分で見えにくくなっちゃってるのもあるだろう。本当にハセケン的に「聴くたびに印象が変わってくる」そんな歌だったりします。

他にも、最近シラオカの小池くんに教えてもらった名古屋のYOKさんとか、岡山の本松洋子さんとか、日本の各地から「いそうでいなかった当たり前のうた」が届けられてくる。で、彼女たちに共通するのは、ある種の「スタンダード感」を持っていること。スタンダードって本当はとても素晴らしいことだと思うんだけれど、そういう「当たり前」な感じが、言葉で説明したり解説したり、時には話題にしにくかったりするがゆえに、ちゃんとした評価を受けにくかったりすることをちょっと残念に思ったりしています。でも、本当はさ、スタンダードになりうるってスゲェんやで、ってことを大声で叫びたいんだよなぁ。あとね、何でもかんでもそういう「当たり前に美しい」シンガーを金延幸子さんのような存在を引き合いに解説するのはやめようよ。言葉として説明しやすいのは分かるけれど、そんな素敵な先人たちとの「小さな違い」こそが、本当は一番大事だし、彼女たちの最大の魅力だってことが分かるから。お願いします!

一生添い遂げる嫁はんや旦那と知り合うとき、情熱的な出会いもあるだろうけれど、「なんや普通やん!」みたいな感じですっと知り合った人と結構うまくいったりすることがあるじゃないですか。ただ、そういう「普通さ」「当たり前さ」には、実はなかなか出会えない。それにちょっと近い一生聴き続けられるようなシンプルで当たり前の歌、自分に寄り添ってくれるようなただそこに在るうた。ハイプには成り得ないけれど、そこがとてもいいと思うんだよなぁ。