のっぽのグーニー『のっぽのグーニー2』

あれ、サンプラー手に入れはった……のかな? のっぽのグーニーの2枚目は、いきなり電子音と電子変調(と呼ぶよりも、まぁ、フィルターをグニグニといじってるの)で幕を開ける。もう、これは雑(笑)。なんだか1枚目で聴けた丁寧さを最初から放棄しちゃったかのような、というか『1』でちゃんとやったから、まぁええやろ的な雑な電子変調ものの「雨粒」でご挨拶。

前作『1』で、“無駄な音が何も入っていない”と書きましたがぁ、えーっと、えーっと、この『2』では、無駄な音ばっかり入ってます(笑)。いやぁ、無駄ってわけじゃないか、装飾音、装飾ノイズ、草食系男子(嘘)がいろいろと入ってます。だからといって彩られているかといえば、全然。でもねぇ、聴き応えがあるんですよ。近い雰囲気で言えば、初期の空手サイコとか、初期の村上ゴンゾくんとかが奏でていた“意識的に美しくなることを拒否した電子ノイズ”な感がある。もしかして音のツボを知ってる音楽家が電子楽器を初期衝動でいじりまくったら、こういう形になりやすいってことなのか? ただ、音のひとつひとつが笑ってるから、基本的に暴力的なんだけれど飽きない。ずっと聴ける。聴きたくなる。

しかし、アルバムとしての作りは本当に巧く、1曲目で電子ノイズ出しまくりだったとおもいきや、2曲目の「海の温度」ではリズムを整然とさせてそこにノイズとディストーテッド・ボイスをふりかけるCAN『future days』っぽい匂い……あ、あかん、違う違う違うます。いやぁ、どうしてこう分かりやすい表現として、「無軌道な電子音、ノイズ、勢いのあるリズム」ってだけで、ステロタイプ的に「CANの影響下の〜」とか書いちゃうんでしょうかね? あきません、そりゃ。絶対あきません。CAN以降(というかそれ以前にも)、その手の音楽なんて山ほど産み落とされてるし、CAN自体もいろんな音楽性を内包してるのに、大抵は「CANのような」ってのは『future days』を指してたりするわけで。加え、そういう言い回しは、もう使い古されすぎだろ、と。ゆえに、この先は一生代名詞としての「CAN」は禁止で行きたいと思います。ただ「KAN」はアリです。「KAN的な」音楽、お待ちしております。心配ないからね。

適当に書いちゃったけれど、よくよく考えたらのっぽのグーニーはKAN的でもあるかも? そうかも? どうかも? 声質似てる鴨? 鴨?

で、3曲目「太陽は海を燃やす」 、これは名曲。いやぁ、名曲だなぁ(若大将風に)。こういう曲がもしさらりと書けてるのならば、のっぽさん天才です。「太陽は僕の敵」時代のコーネリアスが嶺川貴子のために書いた曲のデモって言ったら半分くらい信用しそうな楽曲です。ライヴとかでやったりしてるのかなぁ。聴きたいなぁ。

と、思いきや、またまた電子ノイズ「遠い海岸」。歌はその奥〜の方でこっそり響いてるだけ。悪意。

で、「砂浜」 。タイトルも歌詞含めて砂丘感のある音楽……いや「砂丘感」って言っても個人的なイメージですね。あのですね、渚にてってあるじゃないですか。渚にての音楽以上に、そのファーストのコレの映像的イメージ、砂丘で風が吹いてるの。夏の砂浜じゃなくって、海があんまり見えない音楽、でも海に憧れ続ける音楽。それを勝手に「砂丘感」って呼んでるんですけれど、もう完全に“そんな感じ”。歌詞もそうだろうし、コーラスのハーモニーワークもそう。これは渚にてを意識してやってるでしょ? もし無意識だったら凄いけれど、意識して書いたと言って!

歌始まりでカセットのガチャってボタン音とか、奥に聴こえる時計の動きとか、とにかくにくい。冒頭で“雑”って書いてごめんなさい。全然雑じゃありません。まいった。雑と精緻。

たった5曲なのに濃厚。まだまだ書き足らず。 次へ続く。