王舟『賛成』

実は、俺は未だに信用していないのだが、ウチの店(なぎ食堂と言います)で働いているこの浪人生みたいな、でも妙に愛嬌のある男が、このたおやかな音楽を作っているらしい。宅録の魅力でもある濃密な“個”の空気を詰め込みながら、どういうことか、閉塞感を一切感じさせない、この音楽を。いやはや、「未だに信用していない」と言うのはもちろん嘘なのだけど、3ヶ月ほど前に、実際にその生演奏をこの目で見るまでの約1年、心のどこかで「まさかこいつじゃないってことはないだろうけれど、ライヴでは結構違うんだろうなぁ」と思っていた。でも、彼はちゃんとそこにいて、このアルバムよりももっと深く美しい歌声で、少し顎を前に出しながら、伸びやかに歌っていたのでした。

王舟というのは、 苗字が“王”で名前が“舟”という本名。だけど、友人も含め(ceroの高城くんだけは「王くん!」と呼ぶが……王舟の彼女は彼のことを「ねぇ、シュウ」と言ったりするのか? どうなのか?)、「オウシュウ」と本名の姓名丸ごとがあだ名のように呼ばれている男。上海に生まれ、小学校のころの父親(これが中国絵画の絵かきらしい)の仕事の関係で日本語も話せないまま日本に遊びに来て、本当だったら夏休みだけで上海に戻る予定が親に騙され(笑)日本に移住、そのまま現在に至る。言葉遣いがオカシイので注意すると、「いや、日本語は分からない部分がいくつかあって」と語るが、上海に帰って親戚等々どうだったと訊くと「いや、上海語も今やちょっと微妙なんで、複雑な話になると分からないんすよ」とのたまう。まぁ、音楽が面白いので、そんなものはどっちでもいいか。ただ、このアルバムのほとんどは、普段はほとんど語らない(語れない?)英語で綴られている。

んでもって、彼のCD-Rでリリースされたファースト・アルバム『賛成』。 優しいアルペジオと浮遊感漂うヴォーカル、靄のように張り巡らされたコーラスワーク、そして絶妙の具体音たちが、スピーカーの前の音像をいい空気で満たす「cycle」で始まる。ある種のサウンドスケープ的手法も用いているこの曲を聴くと、彼が古今東西さまざまな音楽を体の中に内包させて、その結果このような世界観を作り上げているのだろうと誰もが思うことだろう。実際、俺も最初はそう思った。

ただ、こういうネタバレみたいなことを書くのはどうかとも思うのだが、彼は指を黒くして中古盤をまさぐるような「音楽マニア」的性癖はまったく持っていない。いや、それは王舟だけに限ったことじゃなくって、今の20代の優れた音楽家に共通している特徴なのかもしれない。90年代〜00年代初頭の音楽家がたどった道……それは、DJ的見地から山ほど過去の名盤たちが掘り起こされ、CD化の流れで再発された時代……膨大な過去を一所懸命アーカイヴして、そこから新たな「別の音楽」を築くのではなく、過去の音源(それがレアであろうがなかろうが関係なく)も今街角で流れている音、そして自分やその友人の音源もまったく等価なものとして、「普通に」楽しむ。そして、そこで共鳴する部分を拾い上げて、自身の音楽に反映させていくのではないかしらん。だからこそ、彼らの音楽には気負いや不必要な自我がない。だからこそ、心の中にスルリと入り込んでくるのではないか、とも思うのだ。

そして、王舟の『賛成』に話は戻る。

彼の音楽で最も魅力的な部分は、その歌声だと思う。しゃべり声からは想像できないほどの「深み」と「滋味」のある歌声は、持って生まれた天性のものだけれど、彼の音楽は、自身の歌声を活かすのに相応しい仕上がりになっている。ただ、彼に歌声の魅力について訊いても、まったく意に介さない様子。決して褒められて照れているのではなく、自分ではその歌声の魅力に気付いていないってのが真相のよう。ただ、それを意図していようがいまいが、この歌声は特別だ。これをヴェルヴェット・ヴォイスと称したらナット・キング・コールがグーで殴りにくるだろうが、ここ日本流のヴェルヴェット・ヴォイスとでも言える甘い歌声。また、発声的にも、呟くように歌うシンガーは多数いれど、「溜め息を吐くように」歌うシンガーはなかなかいない。

M2「瞬間」に顕著だが、ため息のような発声法で呟きながら、センテンスの途中でファルセット的に鼻にかけることで、甘さを強調しているのが巧い。また、この曲が日本語詞であるゆえに、若干の気恥ずかしさをかかえた結果か、子音をはっきりと発音させず、母音にアクセントをつけることにより、より「ため息感」を増している。「母音中心で子音は曖昧」というのは幼児の会話に近いものだが、だからこそ音本来の力を見出すことができる。意味性を放棄する代わりに、美しいイメージを導き出すことに成功しているのだ。また「cycle」や「外は雨」等、英語詞の歌詞をごまかすためか、ヴォーカルトラックを奥に配置したことにより、かえって耽美な世界が広がっているのがオカシイ。ここ最近のシンガー・ソングライター系の作品の多く(ゑでぃまあこん以外)は、意図的な残響を捨て去ることが多いのだが、このような浮遊感を導き出すための過剰な残響は、こうして聴き直してみると新たな魅力を見出すことができる。また、「she wasn’t」や「open camp」等で聴ける、スペクターのレア・トラック音源の如きジャガジャガとしたギターカッティングとリヴァーブ感も面白い。

王舟といえば、このアルバムをリリースしている八丁堀のフリー・スペース「七針」近辺から3、4年前に彗星のように(笑)現れてきた感があるが、それ以前は現・昆虫キッズの佐久間裕太も在籍のロックバンドAMAZONのベーシスト・ヴォーカリストとして活動、今のスタイルで歌い始めるあたりのころは、友人ともあまり会うことなくアパートに引き篭もり、ゲームと曲作りにただただ没頭していたそう。本来ならば鬱々と暗い世界になりそうな状況にも関わらず、天性の明るさゆえか、このアルバムには自己確認のような重さよりも、ある種の希望が溢れ出しているのが素晴らしい。

ただ、興味深いのは、 M5「new year」のダメダメ感。たぶん、どこからか仕入れてきたリズムトラックのループに多重録音でシコシコと重ね合わせたギター、これは……ひどいなぁ(笑)。しかし、他の曲のようにリヴァーブの空間性に逃げるのではなく、吐き捨てるような呟きとまだ作りかけの中途半端なメロディをゴツゴツと記録していったこの曲こそが、本作の肝なのではないか、とも思う。このアルバム全体の面白さの要にもなっている「残響感」「曖昧さ」「浮遊感」などはここにはなく、シンガー・ソングライター(というか、家に篭ってコツコツと音楽を組み立てていた青年・王舟)のそのままの姿が、この曲には記されているように思う。ダメなんだけれど強く、短いけれど暖かい、彼の等身大が描かれている1曲といえる。

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【王舟先生と話して追記】

どうやら、この「new year」は、打ち込みで作ったリズムトラックを流しつつ、アドリブでメロディ(歌)、コードトーン、リードギターをワンテイクだけ重ね合わせたものらしい。あえて録り直しをすることなく未完成のままの楽曲をこのアルバムに入れてみたかったとのこと。だからこそ彼の“素”が投影されたのかもしれない。
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そして、このアルバムの制作以降、彼は小さなアパートから光を求めて外へと抜け出し、他者とのコラボレーションによって楽曲を組み上げていくという方向に向かうこととなる。その結果は次の「Thailand」 で聴けるが、それはまた次の話。

ニール・ヤングだのニック・ドレイクだのを彼の音楽のルーツに見るのは、とても愚かなことのようにも思える。もちろん、ニール・ヤングの野蛮さは好きだろうし、ニック・ドレイクの滋味には憧れるのかもしれない。ただ、彼は、過去の音楽を“感覚のみ”で認識し、そして動物的な感で自分の体の中に取り入れていく、類まれなる才を持っている。だからこそ、ここには特別な「オリジナル」の気配があるのだと思う。

ということで、本アルバムに関して、王舟先生に直接簡単に語っていただきました!

[vimeo]http://vimeo.com/32548938[/vimeo]

あ、少しカッコつけたはる!