のっぽのグーニー『5』

迸る、と書いて「ほとばしる」と読む、らしい。 うーん、なんかこの「迸」って文字、ほとばしってないですねぇ。「漣る」とか「崢る」「瀉る」って感じ(漢字)ですよね、ほとばしるって勢いのある言葉を表す文字は。でも、そんなことに関係なく、このアルバムは、田中淳一郎の才能が、本当に迸ってます! いや、この場所だけは“瀉ってる”にしよう(正確には“瀉”はそそ(ぐ)と読みます)! そのくらいとんでもない勢いと力、あとスピード感、それが群を抜いてある1枚です。この作品について書きたいあまりに、『4』を我慢して聴いてきたようなものです。子供のころから「好物は先食い(男兄弟がいるもので)」の自分みたいな人間にとっては、楽しみ後回しはなかなかできない。でも、その我慢ができるほど、素晴らしいのです。あ、そんなこと大したことないですか、すいません。

最初に書いちゃいますが、誰かこの作品を「トクマルシューゴが『night piece』を作った同じ夜に書き下ろしていたレアトラック集」とか嘘ついてyoutubeとかに勝手に上げて、トクマル君好きの文化系女子の心をドギマギさせてくれんでしょうかね? いや、文化系女子は「レアトラック」なんてぇものにドギマギしないか。そんな子あんましいないよね。いたら嬉しいけどね。でも、本当にブラインド・テストをさせたら、半分くらいは騙されるんじゃないかなぁ。でも実際、声質はもちろん、サウンドメイクの小技までかなり共通点があります。上物のキラキラした音をシンセじゃなくって、トイピアノとかカリンバに差し替えたら完璧かもしれないです。ただ、それはチャゲ&飛鳥イズムを持つ田中淳一郎らしい「模倣」とかではなく、偶然に近い理由で似通ったのではないか、と。たぶんこのアルバムが制作されたのは2004,5年くらいだと思うし、その時期を考えると『night piece』とほとんど同時期だろうし。でも、まさかコレを歌ってる男が、その7年ほど後タンクトップ一丁で尾崎豊ライクに熱唱してるとは、誰も思わないだろうなぁ。

また、先日の「田中淳一郎フェスティヴァル」で宇波拓(悪人の皮を被った気遣い兄さん)が冗談めかして興味深いことを語っていた。「田中淳一郎の曲は、大抵何かからパクってるんですが、多くの人が絶対気にもかけない、“そこじゃないだろ!”ってとこを引っ張ってくるんですよね」 。む、確かにその通りだと思う。最もキャッチーなリフやメロディは、別にパクってないもんなぁ。モノマネで言ったら、クリカンではなく、本人ですら見落としがちな特徴を過剰なまでに誇張する清水アキラ的な手法のような気がします。

とにかく、M1「夜の人たち2」の時点で凄い。前作『4』の最後を飾る「夜の人たち」のリプライズというか、同様の素材を用いているし、音使いもほとんど同じはずなのに、「夜の人たち」ではプリセット音そのままだったのが、丁寧なフィルタリングやエディットが施されて、非常に美しい響きへと遷り変わってる。この2曲はぜひ聴き比べてもらいたいところなんですが、この間にいったい何があったのかを本当に知りたい。たまたまいじってるウチにこんな音質に変化したのか、それとも意図したものなのか? 田中さんは基本はぐらかすのかもしれないけれど、確実に何かが変わってるんです。そして、本アルバムのM6「夜の人たち3」では、同様のモチーフをイントロに使いつつ、完全に歌物として再生させてしまっているという驚き。「ちょっと前フォークトロニカとか呼ばれてたような…」とか言われるかもしれないけれど、このレベルのサウンド、というかメロディセンスのあるフォークトロニカものは、ここ日本では生まれていなかったと思います。

そして、このアルバムの核とも言える超名曲M2「赤い兵隊」。とにかく聴いてほしいなぁ。透明感溢れる歌声……いや、ホントあの濃いい顔から、なんでこんな繊細な歌声が生まれてくるのか分からないんだけれど、声だけ聴く限り、ナイーブで実直な男性がそこにいるようです。ギターのアルペジオに、奇妙な形で斬り込んでくるベースライン、若干の不協和音を響かせながら拡がりを作り上げているウワモノ、サビでの浮遊感溢れるコーラス・ワーク(シンセ白玉?)、とにかくひとつひとつの音が無駄なく編みあげられた空間の中を泳ぐように歌う田中淳一郎。とにかくすごい曲です。

そしてM3「ピープル」は、作り全体が安っちいエレポップな仕上がりなのに、なんで、コレ、恥ずかしくないんだろう?  たぶんメロディがあまりにハマっているからではないだろうか? 「あの日の今と 若い僕らの 浅いはかなさ そんな季節なの」って歌ってるんだけど(笑)。青春エレポップやん! むっちゃ恥ずいやん! でも、聴けるやん。なんや、それ。他のM4「オクラホマミキサー」もM5「過去完了形」も柔らかな歌声で編みこまれた佳曲。全部が濃厚じゃないのが、アルバムとしてずっと聴き続けられるいい作りです。

しかし、思うに、なぜこれだけの作品が7年前(って勝手に決めちゃってるけれど・笑)に作られていたものの、ほとんど話題になることがなかったんだろうか、と思う。 いや、俺が知らないだけかもしれないんで、そんなこと言い切っちゃいけないよね。知ってる人、例えばju seiのせいさんはちゃんと田中淳一郎の才能を分かってたわけだから。日本中のアンダーグラウンド・ミュージックのファンがその事実に気付いた上で某バンドを好きなのに、メジャーのレコード会社ディレクターが「このバンドはフロントマンが凄いだけだと思ってたら、ギタリストも才能があるんだ! 俺がそれを見つけた」みたいなことを抜かしたりするのと同じだよなぁ(あ、皮肉っぽーい!)。ごめんなさいごめんなさい。自分のワクで社会を測っちゃいけないし、別に多くの人に知られていないからといって、その音楽が不幸なわけでもないわけだから。また、たぶん世の中には、運悪く、多くの人に知られていない、でもとんでもない才能が山ほどあるってことも常に認識しておくべきですね。本当にすいません。

しかし、こののっぽのグーニー『5』は、氏の他のアルバムと比べて、圧倒的なポピュラリティが存在しています。ある種の「諧謔」がのっぽのグーニーの魅力なのはわかってるけれど、この作品はそういうこととは別の形でも伝わってほしいなぁって思ったりもしています。正直、このままの形でもいいのでCDとしてリリースさせてもらえんかなぁ。レーベルをやっている人間として、そんな欲目を持ってしまう1枚です。

で、次の『6』の予告編……teasiのイッペイちゃんに聴いて欲しい作品だったりするのですよ、これが(笑)。