味噌樽が並べられてる風景

もはや、ぼんやりとしか覚えてない、いや、そうでもないか。まぁ、普通の記憶。

子供のころ(もう30年以上前かぁ。ふた昔前だ)、味噌屋があった。いや、1967年生まれといえど、もう記憶は1975年くらい以降のことばかり。若い人には「え〜、それってド昭和でしょ!」ってなもんやろうけれど、正直、今と地続きのような感じがある現代。だから、こう酒蔵みたいなところに豪著な看板ドーンな「味噌屋」さんはもちろんなかったけれど、公設市場や商店街の一角、小さなスーパー(10で、100で、1000で、う〜ん、万代百貨店!)のいくつか並ぶ商店の角くらいに、味噌屋の樽を幾つも並べてる味噌屋さんが大抵あった。幅1mほどの大きな樽に毎日ヘラでちょいと三角錐にきれいに仕上げられた味噌が幾つも並んでる。赤味噌があって白味噌があって、まぁ、普通の味噌がいくつかある風景。真ん中あたりに店主がぼおっと座ってて、思い出したようにヘラでペタペタ。近くを通りかかると、少し甘くて香ばしい香りがする。そんな、いつもたっぷりのツヤツヤ(と言うよりギラギラ?)とした味噌が並んでた。こういう記憶は幾つくらいの人まであるんだろうか? でも、まぁ、大抵の小売店がいくつか並ぶ場所には、ひとつくらいそんな味噌屋さんがあったんだ。

でも、いつごろからか、小さな商店街は残っても、その中から味噌屋が消えた。デパートの地下には10数年くらい前まではあったのかな? だからなんとなくずっとあるような気がしていたんだけれど、デパ地下も「洒落たサラダ・デリ(でもツヤツヤ保存液がたっぷりかけられてる)」 のお店や、「普段だったら食べられないのよ〜」ってバリューをこぉんな小さなパックに詰めた有名店の出店みたいなのがズラーって並び始めて、気付くとあの店頭に樽を置いて売ってる味噌屋さんはほとんど見ることがなくなっちゃった。ないですよね? 俺、最近そんなにデパ地下とかに行かないから微妙なんだけれど、たぶん、ほとんどない。

いや、実は味噌屋に正直別段思い入れはないのですよ。知り合いでもたぶんケイドロックのゴミフミ(実家が味噌蔵)やontonsonのミカちゃん(祖父が味噌蔵)くらいじゃないか、そんなこと興味があるのは。あ、結構いるな(笑)。でも、昔から思っていたんです。なんで、アレが成り立っていたのかなぁって。「なんで成り立ってるの!」と思うようなお店は世の中にたくさんあるけれど、今やほとんど消えてしまった「味噌の小売店」は、元々なんであったのか、よく分からんのです。だって、味噌屋さんが味噌蔵なわけじゃないやん? たぶんどこかの蔵と直取引して、販売しているだけだと思う。

だってね、味噌って基本保存食じゃないですか。包装次第で常温保存も可能だし、子供のころから「マルコメマルコメ〜」とか「信州いち〜おみおつけ〜」だのテレビでパック入り味噌のCMをしているくらいで、子供のころから既にパック味噌を買うのが基本で、そんな味噌屋さんで味噌を買った記憶はほとんどない。でも、味噌屋は普通に存在してた。

ただ、スーパーでももちろん売ってるんだけれど、味噌屋だとそれと違う楽しみや特別感があるんじゃなかろうか? じゃあ、なんだろう、その特別感って?

まず、ある種の「小分け感」や「試食できるかも」ってことが挙げられるか。また「店主の思い入れや知識によって、お客さんの好みに合わせられる」ってのもあるか。そうなんよね。ベジをちょっと齧って店を5年近くやって分かったのは、味噌ってスゲェ調味料だってこと。日本人って「出汁幻想」が強いけれど、出汁よりも味噌のような発酵食品の方がずっと味においては大きな価値がある、と俺は思ってます。で、味噌を舐めると、ひとつひとつ恐ろしいくらい味が違う。できれば家や店に料理に合わせて7、8種類くらい味噌を用意したいなーって思ったりする。まぁ、実際、ウチの店でも、「普通の味噌(仙台味噌)」「赤味噌」「白味噌」「甜麺醤」「豆板醤」「コチュジャン」「豆鼓醤」「ひしお醤」「米麹(個人的には麹も味噌の赤ちゃんみたいなものとして取り扱ってます)」……軽く9種類かぁ。実は普通の味噌にしても3種類くらい使い分けたいところなんだけれど、流石にそれを置く場所もなく、今の1種類に他の味噌を混ぜることでそれっぽくしていたりしているのです。

そんな素人の偉そうな料理講座はどっちでもいい(笑)。とにかく、普通の味噌だけでも本当に味が違うってこと。 それを舐めていろいろ確かめられれば、それは本当に有難い。そうかぁ、だから味噌屋っていうのがあったのね。「タクの主人が東北出身なんで、ちょっと濃い目の味噌じゃないと怒るのよ〜」とか「やっぱり俺は麦味噌じゃないと味噌汁飲んだ気がしないんだ!」みたいなこだわりさんたちも、味噌屋があれば大満足。味噌屋の主人は、味噌コンシェルジュみたいなものだったんだろうねぇ。「こちらの味噌なんかどうですか?」みたいな。

味噌屋、近い所で言えば「お漬物屋」みたいなもんか。お漬物屋は、京都とかだと未だに結構ありますよね。でも、全国的にみたら、最近はデパ地下にはあるけれど、小さな商店街からは消えちゃったような気がする。そう、最近胃が少し疲れたとき「あぁ、化学調味料とか使ってない、普通のお漬物を選べる店ないかなぁ」って探したんだけれど、ないんだよなぁ。あります? 目黒近辺であれば教えていただければうれしい! でもそんな感じだよなぁ。そう考えると、漬物屋ももうすぐなくなってしまうのかしらん? 豆腐屋はどうだろ? あ、あれはそこで大抵作ってるから、ちょっと意味合いは違うよね。

あと近い種類で未だ現役な感じで言えば、米屋とか酒屋みたいなもの、かな? どちらの職種もコンビニで売られたり、カクヤスみたいな注文したら30分で届く大型酒屋が出てきたりしてなかなか厳しい状況だろうけれど、「こだわりの店」みたいなのは、未だにドーンと店を構えてやったはるなぁ。きっと、お店の親父とかがコンシェルジュ的にお客様にオススメをする、そういう形でかろうじて続けてるんだろう。そうじゃない既得権益でやっていたお店は、コンビニに姿を代えちゃったりどんどん閉店に追いやられちゃってるか。

他にも近いところの職種はあるね。でも、米屋、酒屋、漬物屋はかろうじて生き残ってるけれど、なぜ味噌屋は商店街からなくなっちゃったんだろう?

常温の出しっぱなしだとさすがに腐るからだろうか? 一度にそんなにたくさん買わないから、だろうか? コンシェルジュ(店主)の能力だろうか? たぶんいろんな理由があるだろう。ただ、なんとなく思うのは、「味噌なんて、そんなに大きな違いがないから安いのでええやん!」ってこととか「ずっと使ってるので満足してるからそれでいいやん」とか「あの料理研究家の人が褒めてたからコレにしよう!」とか「宣伝がオモシロイから」とかのような、味噌を買う人間の思い入れのなさのような気がする。スーパーで5種類くらい並んでたら、まぁ、そこから選べばいいやんって決める。でも、米や酒はさすがにこだわりっちゅうかある程度安心も含めて、それぞれの人たちの趣味や嗜好がある。自分にあてはめても、正直、味噌にこだわりなんて……そうそうないよなぁ(ひとつだけ言っておくけれど、味噌や味噌屋さんを馬鹿にしているのではないです!)。本当は、ひとつひとつ味が違うし、それによって作られる料理も大きく違ってくるんだろうけれど、それを説明・プレゼンするだけの商品ではなかったってことかも。だから、本当は必要だったんだけれど、味噌自体は全然なくならないんだけれど、味噌屋さんは消えていったんじゃないか、と。

……と、長々と味噌屋について書いてきたんだけれど、今、レコードや音楽を売る場所っていうのも、もしかして味噌屋になりつつあるのかもしれないなぁ、と思ったんです。 本当は、酒屋とか米屋みたいにビジネスとして能力の高いコンシェルジュさえいれば、まだまだ大丈夫だろう、と俺はずっと思ってきたんですが、どうも違うかもしれない。で、その違いは、売る方の問題だけではなく、それを買う人たちが「実は音楽なんて、そんなに大きな違いはないから安いのでええやん!」とか「ずっと聴いてるアーティストで満足しているからそれでいいやん」とか「あの音楽家や評論家の人が褒めていたからコレにしよう!」とか「宣伝がオモシロイから」とかのようになっちゃいないかしらん?

もちろん作る方、売る方の問題もあるんだろうけれど、その「嗜好性」っていうことで言えば、音楽は味噌じゃなくって、少なくとも酒くらいの満足感を求めて探して、そして優れたコンシェルジュから教えてもらって、その場で試飲して、でも家で飲んでみたら「あ、ちょっとコレは料理には合わないなぁ。今度はあの店でもう少しキレのある酒を買おう」みたいな感じで楽しんでほしいなぁと思ったりしてる。でも、レコ屋なんて味噌屋と同じ運命になるのかなぁ。どうなんだろうなぁ? ねぇ、どうなんでしょうか、ね?

そんなことを手前味噌を箸の先っちょにつけて舐めながら(今作ってまーす!)、ふと考えてみたりしているのです。