特別、ということ

言葉がたまっていく、ってことはあるのか?

いや、日々の仕事が忙しいとはいえ、なぎ食堂のスタッフたちと無駄話をし、嫁や子供とワチャチャチャと話したりしながら、大抵のことは吐き出していると思う。実はストレスみたいなものはほとんどない。でも、どうしても文章にして書かないと整理がつかんなー、と思うこともある。吐き出す場所がブログってのはいかがなもんかなぁって思うんだけれど、まぁちょうどいい痰壺(汚いなー)のようなものって考えればありかも、ですね。しかし、昔は高級百貨店でさえ、メインの階段の角に小さなペダルの付いた三角コーナーがあって、子供心に「コレはなんだろう?」と蓋を開け、おかあちゃんにこっぴどく叱られた経験はありませんか? ご想像の通り、あれは痰壺だったんだけれど、あれ、なんであったんだろう? 昔の人は今よりも痰を吐くことが多かったんだろうか? 健康の問題ももちろんあるだろうけれど、昔の人たちはもう少し吐き出すものを自由に吐き出していたのかしらん、とか……しかし、たまっていくって言葉から痰壺に向かうとは、なんともはや、下品。

たまってるものは、いろいろある。でも、なんだか幾つか頭の中にもやもやっとしていたことがあって、なんだか行き場がないような気がして、でも、そのひとつがすっと抜けるような気がした。 昼間たまたま目にしたオクノ修さん、いや今回は六曜社店主としてのインタビューだから、奥野修さんのとてもマトモなインタビューを読んで、なんだかポンっと風穴が開いたような気がした。

ずっと頭の中にもやもやしていたこと(のひとつなんだけれど)は、「ハレ」と「ケ」というか、「日常」と「非日常」っていうか、「特別」と「当たり前」っていうか。

例えば……例として適切じゃないかもしれないけれど、こないだ片想いの7インチシングル「踊る理由」っていうのが出たじゃないですか。こないだm.c.sirafu氏から譲っていただいてようやく聴けたのだけれど、本当に素敵な小品、というかワクワクするような楽しい素敵な作品。なによりも、ねぇ、7インチって嬉しいじゃないですか。嬉しいよ、本当に嬉しい。自分も山ほど7インチとか作りたい。というか、これからの音源全部、ヴァイナルで作りたい。あ、ここだけの話ですが、ホライズン山下宅配便『りぼん』の次のリリースとなります某バンドは、ヴァイナル12インチのみのリリース作品となります。これは、この音がヴァイナルが合うと思ったからなんですけれど……あ、それはどっちでもいいか。

でもね、彼らのこの7インチが発売即ソールドアウトしたっていう話を聞いて驚いた。とても好きなバンドなんでよかったなぁって思いつつ、なんか、もやもや。あの作品をいったい誰が買ったんだろうか、と思ったりもしたんです。具体的な枚数は言わないけれど、これまでのファンっていうのがそんなにたくさんいたとは思えないほどの数字だし、じわじわと話題になってソールドアウトっていうんだったら分かるけれど(それほど体力のある音楽だと思います)、でも発売2日で売り切れちゃった。あれあれ、と。

例えば、こないだの2月29日、ホライズン山下宅配便がシマウマの格好をして吉祥寺から新宿までとぼとぼと歩いた。もう、ね、正直歩くことなんかなんの意味もないんですよ。黒岡氏もステージで叫んだ通り、「こんなことどってことないんですよ!」ってことだと思う。もちろん、とても面白かった。到着地のロフトにはやったらたくさんの人たちが待っててくれてね。本当に最高によかったなぁって思ったりもしたし、その後のライヴはちょっと鬼気迫る感じもあって素晴らしかった。多くの方が手を叩いて喜んでくれるのを見てちょっとうるっとは来たりもしてた。

でも、ね。その1ヶ月くらい後のオルグでのホライズンの一応「期待」発売記念ライヴや、その後のスターパインズカフェでのゲラーズとの企画ライヴでは、あの1ヶ月前の熱狂とカタルシスは何処へ、とちょっと思っちゃったりするくらいのお客さんの入りだったりもした。 いや、もちろんちゃんと告知をしていなかったことが原因なのは分かってるし、行きたいと思っても行けなかった人たちもたくさんいると思う。俺もそうだ。でも、なんかその違いはいったい何なのかなぁって思ったりもしてる。

勿論、誰かを責めているわけじゃないんです。本当にそういうことじゃなくって、人は何を基準に行動するのかなぁってことを考えてる。で、そんな時に思ったのは、人は「特別」なモノや出来事に惹かれるのだろうなぁってこと。「限定品」と書かれた商品が売れちゃうように、「2度と見れないラストライヴ」に人が集まっちゃったり、「◯◯のみの特典」が付いているような店でCDを買ったりするように、希少価値の度合いで行動が決まってくる、というような。

たしかになぁ。俺もそんなところはある。 そんなに時間があるわけじゃないし、お金も無尽蔵にあるわけじゃない(というか、ほとんどない)。そんな中で選ぶとしたら、どうしてもなかなか手に入れられないモノや経験に自分の時間やお金を費やしちゃいたい気持ちは本当によく分かる。そのとおりだ。ま、俺らが関わっている世界での「特別」なんて、社会全体にとってみたら鼻息で吹き飛ばされるようなチャッチイものなのも分かってる。

でも、本当にそれは「特別」なことなんだろうか? それは社会的に「特別」なだけで、自分個人にとっての特別っていうのは、それとは少し違うんじゃないかなぁって。それは、「特別」ではなくて、「稀」とか「レア」なだけじゃないかしらんって、そんなことをずっと思ってモヤモヤもやもやとしていた。でも、そういうことを思いつつ、自分の行動をうまく重ね合わせることができずにいたりもした。

そんな時、読んだ奥野修さんのインタビューは、本当にどんな言葉よりも自分に染みこむ感じがした。

 「休日は大阪に出て、喫茶店を色々と訪れる。この前はとある有名焙煎人の豆を仕入れて真剣にコーヒーをいれてくれる店に行って、早速コーヒーを頼んだら『ドリップしますんで時間がかかります』って言うの。やっと出てきたと思ったら『ブラックでお飲み下さい』。僕にとったらそれはちょっとツラいの。僕にとってのコーヒーのあり方とは生活を邪魔しないもので、例えば本を買ったりして一息つきたいとき、気持ちを切り替えてくれるようなもの。仕事が終わってから居酒屋に通うのも同じ。簡単に言えば喫茶店に入ってコーヒーの話なんてしたくないし、居酒屋で日本酒の話もしたくない。最低限美味しいのが真っ当で、それをその場で論じるなんておかしいよね。入魂の一滴っていうよりは毎日通って飽きない、下手したら一日二回でも飲めるようなものを出し続けるっていうことが大事」 

その後に続く、恵文社堀部さんの文章も美しく、本当に端的で丁寧な言葉でまとめられている。もちろん、喫茶店とライヴは別物だし、音楽とコーヒーは別物だ。でも、うまくは言えないけれど、なんだか、もやもやとしたことがすっとするような、そんな気がした。あぁ、もう、しばらくはもやもやすることはないなぁ、と。

余談かもしれないけれど……。

自分は今レーベルをやっていて、気付くと何枚もの作品を出したりしてる。で、意外に思われるかもしれないけれど、ミュージシャンの人たちには、ほとんど何もサジェスチョンもしないし、コスト以外のお願いもしない。 スタジオにも行かなければ、(幾つか自分がミックスしたものはあるけれど)ミックスに立ち会って意見を言うこともない。ただ、ひとつだけほぼ毎回言ってるのは、「傑作作るのはこの次の作品でいいですから、今出来ることのドキュメントみたいなものを楽しみにしてます」と。もちろん、結果的に「傑作」になったものもたくさんある。でも、濃厚過ぎて1度聴いたらお腹いっぱいになっちゃうものよりも何度も聴いてもらえるような、そんな作品ができればいいなーと思っております。また、彼らのライヴに「発売記念」とか「ワンマン」とか「2度と見れない組み合わせ」のようなライヴだけじゃなくて、日々奏でられる当たり前の(それは決してルーティーンってことじゃないです、きっと)ライヴにも足を運んでほしいなぁって思うし、ちょっとした成長や変化を楽しんでほしいなぁって思うし、自分もそういう場所に行きたいなぁって思ったりもしております。

なんだかとりとめがなくなってますなぁ。駄目だ、夜に長文を書くと。 ホントは告知も含め、まだまだ書かなくちゃならないことがあるんですが、それはまた明日。では。